近江八幡市議会 2020-09-08 09月08日-02号
まず会社の休眠でございますけども、これも幾つか調べてみましたら4つほどございまして、まず株式会社まちづくり姫路、それから七尾街づくりセンター、それから福島県の楽市白河、それからまちづくり飛騨高山、こういったところが同様の休眠の扱いにされています。
まず会社の休眠でございますけども、これも幾つか調べてみましたら4つほどございまして、まず株式会社まちづくり姫路、それから七尾街づくりセンター、それから福島県の楽市白河、それからまちづくり飛騨高山、こういったところが同様の休眠の扱いにされています。
公助といたしましては、去る2月17日に、本市金森町出身の金森長近公が大野城を築城し、飛騨高山藩の初代藩主となったことをゆかりとし、岐阜県高山市、福井県大野市と災害時相互応援協定を締結いたしました。
しかしながら、グラウンドゴルフ発祥の地であります鳥取県の県立鳥取産業体育館や岐阜県飛騨市の飛騨高山ビッグアリーナにおきましては、屋内専用の球やクラブカバーなど、床を傷つけないよう配慮した屋内専用道具の使用を条件に許可している例もありますことから、同様の条件によりご利用いただける可能性はございます。
昨年度のローカルサミットでお越しいただいていた岐阜の飛騨地方の方では、最近、ちょっといろんなところで目にするので、御存じいただいている方も多いかと思いますが、「さるぼぼコイン」という地域限定で使える電子通貨というものが運用されています。 そのほか、幾つかの地域でも、同じような似たような、ちょっとした違いはいろいろあるんですけれども、導入していこうという動きが見られます。
さらに、11月17日には地域に飛び出す公務員を応援する首長連合サミットが飛騨市で開催され、代表代行として出席いたしました。 甲賀市との関係では、甲賀広域行政組合と公立甲賀病院組合について、9月25日、10月30日、11月21日に正副管理者会議を開きますとともに、10月1日には甲賀広域行政組合議会定例会が、9日には公立甲賀病院組合議会定例会が開催されました。
ちなみに湖南市だけではなく、茨木市に対しましては、相馬市、和泉市、佐久市、尾張旭市、飛騨市、東大阪市、泉佐野市、生駒市からも同様の緊急支援が行われております。 次に、高槻市への支援経過でありますが、6月19日に全国市長会長の相馬市長から、被災地支援として相馬市が備蓄しているブルーシート100枚を用意してるので、この支援先の調査依頼がありました。
両市は、本市の金森町で18歳まで育ち、その後、織田信長に側近として仕え、越前大野城主、飛騨高山城主となられた金森長近公をご縁に、歴史・文化的に本市と深いつながりを有するまちでありまして、各市長と面談する中、今後の交流や連携につきまして、意見を交わさせていただきました。
両市は、本市の金森町で18歳まで育ち、その後、織田信長に側近として仕え、越前大野城主、飛騨高山城主となられた金森長近公をご縁に、歴史・文化的に本市と深いつながりを有するまちでありまして、各市長と面談する中、今後の交流や連携につきまして、意見を交わさせていただきました。
飛騨高山市と本市は歴史的なつながりが深く、その歴史文化を通じて交流を推進しようという動きがあります。両市のつながりをもう少し詳しく申しますと、飛騨高山を築いた初代藩主、金森長近は、本市の金森町出身であり、幼少から青年期まで金森で過ごし、その後、戦国時代を武将として勝ち抜き、飛騨高山城を築き、その後6代まで今日の高山市の土台を築き上げてきました。
飛騨高山市と本市は歴史的なつながりが深く、その歴史文化を通じて交流を推進しようという動きがあります。両市のつながりをもう少し詳しく申しますと、飛騨高山を築いた初代藩主、金森長近は、本市の金森町出身であり、幼少から青年期まで金森で過ごし、その後、戦国時代を武将として勝ち抜き、飛騨高山城を築き、その後6代まで今日の高山市の土台を築き上げてきました。
の舞台の一つである飛騨古川聖地巡礼に出かけるファンも多く、まちが活気づいております。また、「聲の形」の舞台となった岐阜県大垣市を聖地巡礼で観光してみようと、観光客も増加しております。
大きな投資をしなくて済み、空き部屋の活用と身近な観光ができることで、今では利用者は世界に拡大して、ことしの中国の春節にも団体旅行は半減して、映画の「君の名は」の舞台と言われる飛騨市に多くの中国人が訪れ、民泊の利用もふえているようであります。
飛騨の古川というところです。私は、飛騨牛を食べ、のんびりとするつもりでしたが、この3年でしみついたのか、何やかんやと考えておりました。それは、湖南市の観光と結びつけてのことです。 私の行ったところなんですが、大ヒット映画、「君の名は」。岸 惠子ではございません。新海 誠監督のアニメです。その舞台が飛騨市の古川ですが、映画に出てきた場所を観光するのが聖地巡礼と言うらしいです。
次に、保健医療福祉関係につきましては、発達支援システムへの全国からの視察が相次いでおりますが、7月7日には福岡県田川市から、8月18日には岐阜県飛騨市からそれぞれ市長が視察に来られました。
そこで次の質問に入るわけでございますが、例えば高山市などでは入湯税収入の相当額といたしまして1億円程度を飛騨・高山観光コンベンション協会、これは彦根の観光協会に類するもので、同等のものと解していいものでございますけれども、そちらへ補助金として支出をされまして観光PRなどに活用をされていると聞いております。
大きくは京都の祇園祭とか飛騨高山の祭りが象徴されますが、このユネスコ文化遺産に登録される機会をいただいたということで、日本の伝統として世界中に発信される長浜曳山まつり、世界に飛び出す絶好のチャンスをいただいたというふうに思っております。 この祭りを伝統としてこられた山組の関係者の皆さんやら、この祭りを支えていただいた市民の皆さんにとりましても、大きな励みになるというふうに思っております。
さらに平安時代以降になると、北国から都への貢物や荷も同じルートを通って、また陸路は東山道、後の中山道ですけども、これで美濃、飛騨、信濃、そして関東地方に運ばれていったということであります。 江戸時代になると彦根藩の名を受けた世継の北村源十郎が米原港を開きました。明治時代に鉄道が敷かれるまで米原港は、関東や東海の物資などを京、上方に積み出す港として反映したそうであります。
お父さんは高山飛騨守と言いまして、初めはキリシタンを撲滅するために、いろいろ施策を図ったわけでございますけれども、反対に入信してしまいました。右近は12歳で、その影響を受けキリシタンになったわけであります。
私個人的にも、皆さんもご存じだと思うのですけれど、飛騨高山のまちなみ全体が我が市の夢京橋キャッスルロードや四番町スクエアといった形でかなりの観光客を呼んでおられると思っておりますので、そういった意味でも、ますます彦根市全体が協力し合って、着地型の観光を目指して、またいろんな催しものもどんどん提案していただいて、増やしていっていただければと思います。